ファシリテーションが会議・組織・社会を変える!~第16回・会議における「積み木の組みかた」を極める!(その1)

活性化の甲斐あって、意見がテーブルの上いっぱいに広がりました。メンバーの参加度、納得度という点では、たいへん素晴らしいことです。しかし、このまま話しあいを終えるわけにはいきません。議論を整理する、構造化するステップが必要です。いわば、テーブルの上にまき散らした積み木を、形の同じものを集めたり、色の同じものを集めたり、一つひとつ家の形に組み上げたりする作業が求められるのです。

議論を整理するためには、ある程度「論理的にものごとを考える」ことができなければなりません。いわゆる「ロジカル・シンキング」、「クリティカル・シンキング」といわれる論理思考力が問われることになります。

しかし、「論理」と聞いただけで苦手意識をもってしまう方も多いでしょう。そこでこのブログでは、ごくシンプルに、「議論を『目で見える』状態にする」、「『フレームワーク』を活用する」という2点に絞って、2回に分けて考えてみたいと思います。

▼「論理の3点セット」の可視化で大局観を獲得する!

まずは1つめの「議論を『目で見える』状態にする」というポイントについて考えてみましょう。そう、「板書係」の出番です。

「土俵のつくりかた」の項で、一人ひとりの発言を受け止め、文字にすることで、目で見える状態にしていく「板書係」を置くことが重要であるというお話をしました。リアルタイムで議論を「可視化」「見える化」することで、「いま、何の話をしているのか(しなければならないのか)」を明確にするとともに、こみいった話を整理していこうというのです。

なぜ、板書が必要なのでしょうか? 最大の理由は、「言葉は、口にしたとたんに消えてしまう」という点にあります。すぐにホワイトボードや模造紙に定着しなければ、淡雪のように消えてしまうのです。「言った、言わない」の議論を回避し、「で、何だったっけ?」という堂々巡りに陥らないようにするためにも、「目で見える」状態にする必要があります。

では、板書係は、何を書けばよいのでしょうか? ここでは「論理の3点セット」という考え方をご紹介したいと思います。

「論理の3点セット」とは、「論旨・論脈・論点」の3つです。この3つの要素を「目で見える」ようにしていくことで、話しあいの質を格段に高めることができるのです。

まず「論旨」ですが、これは「主旨」の「旨」という文字が用いられていることからも明らかなように、いわば「話しあいのテーマ、タイトル」を指しています。まずは、議題をしっかりと板書しよう、ということです。実に簡単なことですよね? しかし、私の経験では、意外とおろそかにされていることでもあります。

「そもそも私たちは、何のために話しあいをしているのか?」、「そして今日は、どこまで話せばいいのか?(この話しあいが終わったときに、どのような状態になっていればいいのか?)」。それを皆が見えるところに大書し、いつでも立ち返ることができるようにしておく。実に単純なことではありますが、そのメリットは非常に大きいのです。ぜひ、しっかりとテーマ、タイトルを書くようにしましょう。

次に「論脈」ですが、「脈」というくらいですから、「話しあいの流れ」を意味しています。これも、基本的には発言を順番に板書していけば自然に「流れ」が見えるようになりますので、まったく難しいことではありません。

時には、話があっちに飛び、こっちに飛び、前後することもあるでしょう。そのような時は、「書く場所」を工夫してあげればよいのです。「ちょっと違う話になったな」と思ったら、少し離れたところに書く。「お、とても近い話だな」と思えば、すぐ下に書く。そうすれば、全体として大きな「流れ」が見えてくるはずです。さらに、関連性(因果関係や時間的な順序など)を矢印などで補ってあげれば、「話のすじみち」が見えるようになります。「話のすじみち」が明らかになれば、個々の発言を全体の中に位置づけることが可能となります。おっくうがらずに、一つひとつの意見を書き留めていきましょう。

そして最後の「論点」ですが、これは文字通り、意見の対立点や合意点を表しています。「AさんとBさんの意見は、ここが異なっているよね」、「CさんとDさんの意見は、ここまでは同じだよね」という点を明らかにすることができれば、それは論点が明らかになったことになります。

具体的には、対立点を両矢印(←→)で結んだり、合意点をイコール(=)で結んだりすれば、論点が明らかになります。これまた、さほど難しいことではないでしょう。

では、これら論理の3点セットを「見える化」すると、どのような御利益があるのでしょうか? いろいろありますが、ここでは1つだけ取り上げてみたいと思います。

論旨、論脈、論点。このうち、日常の話しあいで、私たちが最も意識するのはどれでしょうか? ……多くの場合、それは「論点」です。もっとも分かりやすいのは、「意見の対立」が生まれた場合でしょう。AさんとBさんが激しく言い争いをしている。そうなると、ほとんどの人は「どっちが正しいのだろう」と、自分の立場(=自分は何を言うべきか)を一所懸命に考えはじめます。皆の意識が、対立点にぐーっと集中してしまうのです。

しかし、「本当に考えなければならないこと」から眺めると、その対立は実に些細なことであったり、「どこから意見の対立が生まれたのか」を思い出すと、あっさりと対立解消の糸口がつかめたり……ということは、私たちがしばしば体験するところです。そう、「論旨」や「論脈」に立ち返ると、「論点」を解きほぐすカギがあっさりと見つかった! というケースが、意外に多いのです。

棋士の羽生善治さんは、あるテレビ番組で、「大局観とは、手を読むことではなく、流れを読むことである」という主旨の発言をされていました。これを話しあいの場に置き換えると、「(直前の発言に対して)次に何を言うか」を考えるのではなく、「そもそも、私たちは何を考えなければならないのか」という論旨、「私たちは、どのような流れをたどってここにたどり着いたのか」という論脈を見据えることで、おのずと「次の一手」が見えてくる――ということになるのではないでしょうか? そして、それを可能にするには、皆の見えるところに「論理の3点セット」を可視化していくことが、もっとも近道なのです。

別に難しいことではありません。まずタイトルを記し、発言を順に書いていき(ただし書く場所だけは少し工夫して)、矢印などの記号で発言の関係性を明らかにしていけばいいのです。上手、下手の問題ではありません。「書くか、書かないか」の問題です。古代ローマの思想家、セネカの「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから困難なのだ」という言葉を信じ、とにかく、マーカーを手にしようではありませんか!(つづく)