卓球道を教えてくれたYさん

久しぶりの「人」シリーズです。

私は県立国府台高校出身です。ユニークな学校で、私はそのユニークさが中学時代から気に入って進学を希望し運よく入学できました。

制服はあるけれど、年頃の女の子が白いシャツに黒いスカートなんておかしくないかい?という先生がいるくらい、とにかく自由。自己責任?自分で決めて行動しなさい、というような校風です。今もそうだと聞いています。以外にも、そういう風に言われると、生徒たちは自分で考えてそこそこ秩序は乱れない程度に、ちょっとだけおしゃれを楽しんでいたように思います。

特徴的なのが文化祭です。特に、高校3年生の文化祭は、全員が全力を出し尽くします。大学受験を目前にしているのにです。夏休みはほぼ毎日学校に行き、3年生は本格的な演劇を各クラスごとに上演します。1~2年生はそれぞれ企画を準備します。たしか、夏休み明けの1週間は体育際、文化祭、ステージ発表(音楽祭)とお祭り一色だったかと。もちろん実行委員会形式ですべて生徒たちが企画し運営します。(イベントの血が騒ぐのはこの時の経験が下地にあるのかも)

そんな高校時代、私が没頭したのは卓球です。

東京2020の卓球選手の活躍は、オリンピック、パラリンピック合わせて素晴らしいものでした。

でも当時はテレビで卓球が見られるのは年に1回の全日本選手権、NHK教育テレビのみ。インターネットで試合が見られるようになったのもつい最近のことです。雑誌を見て一流選手の技を研究したものです。

私が卓球に没頭するきっかけを作ってくれたのが、Yさんです。卓球部のOBで、幼稚園の先生をしていたその方は、大学を卒業してすぐになんと荻村伊智朗さんが作った会社で卓球情報誌の編集の仕事をしていました。世界選手権の取材にロシアからヨーロッパまで電車で旅をしたこともあるとか。卓球人であれば、知らない人はいない神様のような荻村伊智朗さん。私も荻村さんの著書を読んで影響を受けた一人です。

とにかく妥協を許さない、固定概念にとらわれない、基本を大事にやるべきことをやる、荻村さんから直接仕込まれたYさんの強さに惹かれ、卓球一筋の3年間を送りました。

おかげで、市内の大会で勝ったり負けたりという平凡なプレーヤーだった私は、Yさんが週末に高校の体育館での練習に通ってきてくれたことをきっかけに、強い学校との練習試合を組んでいただいたり、相手校のコーチと話を付けていただいて、ひとりで他校の練習に行かせてもらう日々。昭和学院高校、和洋女子高校、八千代松陰高校、それぞれ全国大会で活躍する選手たちがいるところに、武者修行に行かせていただいていました。もちろん無料でコーチを受けさせてもらい、ライバル校の人たちともすっかり仲良くなりました。あれ、このころから門外漢なのに厚かましく押しかけて指導をしてもらっていたんですね。私。

卓球は、とても奥が深いスポーツです。対戦相手との距離が一番近い球技と言われています。ですから、表情、目線で相手の心境の読み合いです。技術はもちろんですが、誰でも得意なことと不得意なことがあります。卓球は、自分の得意なことと相手の不得意なことで勝負をすれば勝ちます。当然ですね。ただそこに、メンタルだったり、一瞬のスキがあったりすると勝敗を分けることがあります。ネットインやエッジボールも、偶然とばかりは言えません。気持ちが一球に乗っていく、そんな場面に何回も出会いました。

そして何よりも、敵は自分自身。相手がどんな人でも、どんな得意技があっても、勝たなければならないのは相手ではなく、自分。ここで思い切った作戦がとれるかどうか、自分の気持ち、自分のやってきたこと、そして自分自身を信じられるかどうか。

それを教えていただいたYさん。いまでも、私の生涯の師として、尊敬しお慕いしております。

ソノリテを起業するとき、どうしてもこの資金が必要なんです、とシステムの開発費用を工面しなければならないときにお願いに行った際、必要な金額を言いなさい、と黙って協力してくださいました。昨年、やっとその資金を全額お返しできました。

何かを決断しなければならないとき、Yさんならなんというだろう。いつも考えます。

かっこよくやれよ。そんな風に言われているような気がします。

卓球は、新しい時代を迎えました。

先日、ソノリテ会で講師をしていただいた森さんは、プロリーグのTT.彩たまの顧問をされていて、Tリーグの発展にも尽力されています。私も、卓球界のために、何かできることはないか、と考えています。