「新自由主義と市民社会の関係」について思うこと

日本NPO学会の公開セミナーがあり受講しました。

きっかけは、ソノリテのクライアントである、NPO会計税務専門家ネットワークのみなさんが研究した、「福祉サービスに関する法人税課税問題研究報告書」が特別賞を受賞されたことから、久しぶりに日本NPO学会のホームページを見てみたことからです。ウェビナーで研究発表と討論会をするとのこと、学術的な分析や最近の傾向を勉強することも必要だな、と思い申し込んだのが表題のテーマのウェビナーでした。

議論の内容については、著作権の問題もあるようですし、そもそも研究者の方と議論をするほど私に知識や造詣がありませんので控えますが、キーワードとしての「新自由主義と市民社会の関係」について思うことを書かせていただきたいと思います。

新自由主義と市民社会、というからにはそれぞれの定義が必要だと思うのですが、おそらく新自由主義に関しての定義がいくつかあり、生活者である私たちに身近な言葉ではないのだろうと思います。

新自由主義といった場合に、小さい国家、自己責任の社会、という説明をする場合が多いようです。その反対が、自由主義とか社会民主主義という名称で、内容は富の再分配とか、共生社会というとわかりやすいでしょうか。

一方、市民社会は、市民、つまり人々が平等で基本的人権を確保でき、自由に行動ができる社会、というとイメージしていただけますか?

さてそこで私たち、帯刀治先生に指導を受け地域社会で活動をしてきたものにとっては、新自由主義だから、自己責任の社会だから市民が主権をもって活動をする、とは考えていないのではないかな、と思います。

権利は誰にでもあって、それは画一的ではなく多様でよい。

一方、政府がすべての人々の権利や富を掌握し分配すればいいとは思っていません、小さい政府でよいけれど、主権者である人々は助け合うことができるし、政府に代わって地域社会を構築したり開発したりすることもできる。

市民が行う自由で自発的な活動が市民活動であり、市民活動がやりやすい社会が市民社会、と私は考えています。

研究者の方にお話しすると笑われてしまうかもしれませんが、(そんなことわかってるよと)これが活動をしている私たちの目指すものです。

そして、社会のメカニズムによって市民社会が進むのか後退するのか、議論があるのかもしれませんが、そんなことじゃなくて、大事なのは今、目の前に起きている暮らしの中の課題に取り組もうと思う人が、それを行動に移せるような、自由で安心して声を出したり行動したりできる社会づくりだと思います。他者との違いを認め合い、有機的に連帯する社会です。

学会とはそういう場所だよ、と言われてしまいそうですが、あまりにも現場と遠いところで議論をされているような。

ソノリテでは、政策研究所を立ち上げ、研究者の方や政治家、NPO活動を実践している方などがともに学び合える場を作りたいと考えています。

研究者とNPO活動の実践家、その両方を生き抜いた帯刀治先生の遺産を引き継ぐ形で。