NPOの生みの親~賀川豊彦さん

徳島県鳴門市に、賀川豊彦(かがわとよひこ)さんの記念館があります。

徳島へはこの11年、ずっと行き来をしておりましたが、一度も行ったことがないと言ったら、パートナーコンサルタントの徳田さんに「ソノリテとしてそれはダメですね、」と言われてしまいました。そうです、賀川豊彦さんは、ボランチアの父であり、広義のNPOでもある協同組合を日本で最初にはじめ、発展をさせたその人でした。労働者の権利、生活者の権利、子どもの人権、当たり前のことを当たり前と言えない時代に、権力に立ち向かう賀川さんの人生、とっても興味深く閉館間際まで展示にくぎ付けでした。

賀川豊彦記念館は、四国88箇所のお遍路のスタート地点、鳴門市の1番札所、「霊山寺」のすぐ近くにあります。

賀川さんは、1888年(明治21年)生まれ、100年以上昔の時代に、「救貧から防貧へ」というスローガンを掲げ、自らもスラム街で一緒に暮らし人々を助ける活動をダイナミックにされています。関東大震災でも多額の寄付やボランティア活動をするために神戸から東京へ何往復もしたという記録が残っているそうです。

日露戦争、第2次世界大戦を経験し、ご自身も病に侵されながら、平和と友愛のために一生を捧げ、ノーベル賞候補に2度も上がったという偉人でした。大変な暗い時代に、希望を捨てず愛に満ちた運動家。スラム街での活動を通じて出会った奥様の「はるさん」の力も大きかったのではないかな、と思いました。

また、大学生のころにアメリカに留学をされた経験も大きかったようです。世界を知ること、そして国を超えて友情を育まれたことは、一緒の宝になったようです。

神戸出身ですが、幼少期から高校生までを徳島で過ごしたことから、鳴門市に記念館が建てられました。

自伝的小説『死線を越えて』はベストセラーになったほか、多くの著書も残されています。

私たち、NPOなどの非営利組織にかかわるものとして、多くの学びがありまた示唆に富んだ記念館でした。

賀川豊彦記念館は、東京、神戸、そして徳島県の鳴門市にあります。ぜひご興味のある方はおすすめです。